私の歴史探訪 8.猿田彦命(サルタヒコ)ってどんな神

 8.猿田彦命ってどんな神

猿田彦命は『古事記』、『日本書紀』そして『秀真伝』にも登場してくるとてもポピュラーな神である.その名のついた神社も全国各地にあり(二千余社)、祀られている神社はもっと多いと思う。

 サルタヒコ、まず、『秀真伝』御機の二十四文・扶桑国蓬莱参山(コエクニハラミヤマ)の文中に登場。

 皇孫一行は淡海・高島の酒波宮に来た。そして万樹宮(ヨロキ・万木)に来て太田命と箕島命をして熊野万樹を田と作った。と書かれていて、ここは高島市の西万木のことか?また太田命も箕島命も我が北摂の茨木の太田や三島郡の三島と関係がありそう。

その後、皇孫一行は南行してる時に、音玉川(白髭神社の西にある小田川らしい)の白砂に昼寝している街神(ちまたカミ)がいた。身の丈十七咫(ソナタ)身長十七尺(3m06)、顔が赤くてホオズキのよう。鼻の高さ7枳(ナキ)何センチ?、とにかくデカい。眼は鏡の如くに日の赤さに似てた。お供の八十の神は恐ろしくて進めなかった。皇孫瓊瓊杵尊 天鈿女命に「汝は人を観るに勝れる故往きて問うべし」と勅命した。

天鈿女命はその胸を表し、裳紐を下げ嘲笑いて立ちあう。「何でそんな格好しているのだ」街神が聞くと「皇孫の御幸の前にそのようにおるあんたは誰や」と天鈿女が問い直した。そこで街神は答えて「天照大神の皇孫今御幸をしているのでウ川仮宮に饗応するために久しく待っておった。私は長田猿田彦というものだ」と名乗った。そこで皇孫一行の道案内を買って出た。

 

古事記』の場合、皇孫が天降る時、アメノウズメが待っていた男に「アンタは誰」と尋ねると「私は国神、名はサルタビコと申す。ここに出で居る故は、天つ神の御子が天降りなさるということをお聞きしたので、先払いとしてお使い申し上げようとしてお待ちしておるところでござる。」といった。

日本書紀』では、この神は、口や尻が赤くて鼻がとても長いと描写されており、天狗の前身のような神である。口や尻が赤いというのは、サルからの連想だろうか。最初に待ち構える国神で新たな対立関係が生じるかと思わせるが、従順な神である。アメノウズメの顔面の力と挑発的な痴態のアピールが猿田彦を凌いでいたか。

とはいえ、ネット画面で数多く観ることが出来る猿田彦と天鈿女の図版、私のこの神話に抱くイメージが度をこしているのか、みんな大人しく見えてしまう。特に天鈿女の破天荒な性的アピールは公共の表現となると難しいかもしれない。

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アメノウズメの命 棟方志功の板画とちょっと怖い天鈿女のお神楽

それにしてもサルタヒコは数多くの神社で祀られ、これほども人気があるのだろうか。サルタヒコの背丈や鼻の長さの数字は大袈裟すぎると思うが、おそらく普通の日本人の体型からすると相当異形なものだったのだろう。よく、天狗の原型モデルだとか山伏祖先のように言われているが、『古事記』ではこの異形の大男が阿耶訶(アザカ 三重県松阪市)で漁りをしていてヒラブ(二枚貝)という貝にてを挟まれて溺れて海の底まで沈んだそうで、何とまあ不釣り合いな物語と思う。

 一方、アメノウズメの方は勝気な性格、振る舞いで、舞芸の祖のように扱われている。カルメンが男性を挑発して歌いながら踊っているイメージが浮かぶ。

道案内人や道祖神としてのサルタヒコはギリシャ神話やローマ神話に出てくる、ヘルメスやマーキュリーに比べられることがある。その図像、有名なルネサンスの巨匠ボッティチェルリの『プリマベーラ(春)』の絵の中の左端の人物。神々の道案内で過去にも未来にも行くという。この絵の中で杖を天にかざし、幸福を讃える場面で暗雲を呼んでいる、あるいは予言している。

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大阪の天満橋の橋の南側に、OMMという商業ビルがありその前にマーキュリーの彫像が立っていた。ヘルメスやマーキュリーの象徴である踵についた翼が印象的である。「プリマベーラ」のヘルメスの足にも翼が見られる。

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天孫系の神々に対する出雲系の神としてのサルタヒコとその相手として結婚することになるアメノウズメ、その二神のかなり破天荒なキャラクターはどこから来たのだろうか。神名の「ウズメ」の解釈には諸説あり、「強女(オズメ)」の意とする『古語拾遺』説、『日本書紀』の表記通り「髪飾りをした女(鈿はかんざしの意)」とする説などがある。そしてそこから生まれる日本史上における母系氏族の典型とされる猿女氏のルーツはどこだろうか。

猿田彦秦氏の謎」清川理一郎著の引用。

《猿》と《岩や石》(まさに猿岩石)を始祖とみる民族は、一般的に見れば、ビルマチベット系の言語を話すチベット人である。羌族に代表されるチベット人によれば、彼らの祖先は猿と岩の魔女との結婚から生まれた六匹の猿、または人間という。

(中略)

一方、中国における猿を民族の始祖とする猿伝説については、古代中国の蜀地方(今の四川省)に猿に似た獣が人間の女と交わって子どもを作ったという伝説がある。この蜀地方では孫悟空で有名な『西遊記』に登場する猿の悟空が石から生まれたという猿祖、岩祖伝説が存在したところでもある。

 

このようにサルタヒコもおそらく猿を神格化したものとして日本に流れ込んできた可能性はある。岩祖、岩崇拝で日本における神社の祭壇は自然石を積み上げた磐座であることが多い。また「羌族」と聞くと、ユダヤの失われた十氏族が「羌」(チャン族)や弓月国を経て「秦」に至り日本にやって来たという話を思い出す。

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猿田彦秦氏の謎」では民族の流れの分析は詳しくされている。が、今ここではスルー。

アメノウズメのもう一つ有名な『記・紀』の中の話として、天照大神が岩戸隠れした時、岩戸の前で神々が案を巡らし、アメノウズメの例のあらわな胸をはだけた格好で踊り、神々が大騒ぎしているのを、天照大神が気を引かれて岩戸の隙間から覗いたところを神々が天照大神を引きずりだした。この手法を援用して秦河勝が申楽として後世に伝えたのが世阿弥に伝わる能だという。

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申楽(現在の能の祖)を大成した世阿弥室町時代)が著した『風姿花伝』という能の指南書がある。その中でその経緯が書かれている。

その部分を引用すると、

第四 神儀に云く

一、申楽は神代に始まるという説である。(中略)大神の御心をとらえ岩戸から誘い出そうとて、神楽を奏し細男の散楽を始める。踊り手の中から天鈿女命が進み出る。榊の枝に幣(しで)をつけ、声をあげ、庭火を燃やし踏み轟かす。神憑って歌い、舞い、奏でたものだ。その声が岩戸の内へも微かに届いたものか、大神は少し岩戸をお開けになった。国土は再び光に満ち溢れる。神々の面も照らされ白く見えた。この時の神々の遊舞を申楽の起源とするとか、詳しくは口伝に述べる。

一、仏在所において須達長者(しゅだつちょうじゃ)が祇園精舎を建立する。その供養に釈迦如来が説法をなさった。この時、釈迦を妬む提婆が一万人の外道を引き連れ、幣をつけた木の枝・笹の葉を振り回させ、踊り叫んで説法の妨害を始める。釈迦は傍の舎利仏に目配せをし、仏力を与えた。この力により寺の後戸にて鼓・鉦鼓を整え、阿難の才覚と舎利仏の知恵、富楼那(ふるな)の弁舌を合わせ六十六番の物真似を演じて見せたのだ。外道たちは笛・鼓の音に後戸に集まり、この演技に見入って静まった。この間に釈迦は無事説法をお済ませになることができたという。それより天竺にこの道が始まったと伝えている。

(中略)

一、国家にいささか不穏の色が見られたので、聖徳太子は神代・仏在所の吉例に倣い六十六番の物真似を秦河勝に命じてつくらせた。同じく六十六の面を自らお作りになリ、河勝に与えた。橘の内裏の紫宸殿にてこれを奉納したところ、天下は治まり国は鎮まったという。太子は末代までこの芸を伝えようと考える。もともと神楽よりつくられた芸なので「神」という文字の偏を取り旁だけを残して、暦の申でもあったため、申楽と名付けられた。すなわち楽しみを申すという意味であり、神楽から別れたという意味でもある。

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赤穂市坂越にある秦河勝が持っていたというお面。

 

この「申楽」が「猿楽」とも書き「さるがく」と読み、サルタヒコの相方アメノウズメの子孫=猿女を祖にしているというのも面白い。