私の歴史探訪 16.牛頭天王

16. 牛頭天王 ②

 素戔嗚尊牛頭天王が結びついた代表的な二つの話

1、素戔嗚尊新羅の牛頭山にいて帰ってきたから。

2、祇園精舎の守神、牛頭天王が仏教と一緒にはいってきて神仏習合素戔嗚尊と一緒になった。

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これらの話が入り混ざって、細かい部分では様々な伝承になっている。

新たにちょっと違う角度からものがある。伝承というよりも分析だと思う。「日ユ同祖論」の方向かな。

 イスラエル北王国が滅亡することを予言したイザヤは家族や大勢のイスラエルの民と共に国を脱出し、その後、そのうちのいくつかの部族が東方を目指して日本列島に到達した。「マヘル・シャラル・ハシュ・バズ」と名付けられたイザヤの子が救世主として誕生することが予言された。(イザヤ書8ー速やかな略奪)

その名前は「急いで略奪し速やかに捕獲する者」を意味する。当時、北方で勢力を振るっていたアッシリアの大軍によってイスラエルが滅ぼされるという警告の象徴である。崩壊だけでなく、失われた国家の復活を救世主が短期間で実現することを約束する意味も含められている。

この「シャハル、バズ」がそれぞれ「略奪」という意味で、「ゴゼル」同じく「略奪」と結びついて「ゴズ」となり、のちに「牛頭」という漢字が当てはめられたという。ヘブライ語は母音がなく子音だけで表記されるらしく、GZLとなり、母音はそれぞれ子音の上や下に点やカギ印があてがわれるらしい。

『聖書を旅するー古代史の流れ・旧約聖書犬養道子著 の中で「アーメンとは何か」の説明がわかりやすく面白い。

ヘブライ語は子音しかないのだから、ローマ字に書き換えて書けば、アーメンはMNになりその前にアをあらわす符号(「T」を小さくしたような記号)が来る。(注・ヘブライ語に於いて実は、アは母音ではなく、喉音を使う子音。א )Mをモと読もうとメと読もうと、MN自体、「ゆるぎない」という意味をもつ。アーモンはしっかりした建物をつくる人、つまり建築家。祈りや賛美歌の終わりに、クリスチャンがアーメンと高らかにいうときは、「今しがたの私たちの祈りや賛美に、まちがいはございません」、つまり透明な誠実さ。

(以上 引用)

昔懐かしい「ゴジラ」が GZL=略奪 のアイデアだという説もある。真偽のほどは定かではない。アーメンとは言えません。

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少しでも真相に近づきたくて『聖書』のイザヤ書やこの犬養さんの本を読み返しているが、過去の読み方がいかにお粗末であったかを再認識してガックリくるけど、新たな発見があって面白い。ついでにイザヤはイェシャヤ 神の救いの意味。ひょっとして、イザナギイザナミに繋がらないか?あるいは伊勢も。確かに、イザナギイザナミの日本語の音だけでは意味不明ではある。

さて、牛頭天王に戻るとして、大局的には、文化は西から東に流れてきて再び合流した感がある。

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岐阜・勝久寺/牛頭天王(江戸)】像高は30cm。

イサクの二人の息子エウサ(エドム)とヤコブがいて、ずるいヤコブの策略もあり、エドムの地は紀元前4世紀にナバテア人に奪われたため、荒野の果てを棲み家とする勇猛な騎馬遊牧の長になっていった。その末裔エドム人は放浪し、紀元前3世紀~前2世紀に日本に渡来した可能性があるという。(いわゆるイスラエル十二族とは別・ヤコブの子供達がエジプトに住み付きヤコブの遺言によってそれをイスラエル十二族の祖と定む。)エドム人は航海技術に長けていたことから、ポリネシアを経由して、海路で日本列島にたどりついたと考えられている。また高層神殿建築技術に優れ、古代出雲の神殿を築いたのはエドム人ではないかという。西暦1世紀頃には山陰地方は出雲を中心に繁栄していたとされる。「エドム」は「エサウ」とも呼ばれ、「エサウ」とは「赤い」「毛深い」という意味であることから、赤い顔の毛深い人種であった可能性があるが、その後、東北方面の「蝦夷」になったのかもしれない。出雲時代そんななかで素戔嗚尊が生まれたのかもしれない。それが可愛川を下り備後瀬戸内海へと広がっていったかもしれない。思い切り想像だけど。

 さらに、出雲系の賀茂氏の子孫に戦国時代の松平氏がおり、そこから出た徳川家康が日本を統一し、祖先の「エドム」に敬意を表して首都を「江戸」と命名したのではないかと言われる。そんな説もある。