私の歴史探訪 19.犬島

19. 犬島

 岡山市、私が今住んでいる同じ行政区、東区に犬島という島がある。牛窓から見れば平くて長く軍艦のようにも見える。

 私が学生だった20代の頃、友人に「瀬戸内海 岡山に面白い島があるらしい、行ってみよう」と誘われて、スケッチブックを持って、電車とバスに揺られ、宝伝という漁村から、当時、1日に朝夕、2便しかない郵便船に乗って、着いたら夜って感じで行った。行き当たりばったりで、昔旅館をしていたという家に泊めてもらった。

 東側の海岸に出ると、何も知らないでいきなりそこに舞い降りたら、「ここはどこの国だ」と思ったと思う。それほどに変わった面白い遺跡のような村?レンガを積み上げた壁、崩れそうなレンガの巨大な煙突、レンガを敷き詰めた道。そのレンガが普通、我々が知っているレンガではなく鉄の塊のような黒い、しかもひとまわり大きい、表面の素材感(マチェール)がなんともハードで、実際かけらを手にしても重かった。私たちははしゃぎ回って隈なくその遺跡?を探検した。

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 島の大きさは歩いて数時間で一周できるだろうかというほどのもの。その遺跡らしき場所は島全体からすれば多分三分の一もないかもしれない。しかし、そこの面白さを味わい尽くすには1日2日でできるものではない。スケッチブックを持って行ったのに何も描かないでひたすら探検していた。

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学生の時のスケッチ、紛失かどっかに紛れ込んだかやっとこの一点を見つけ出せた。

 島のあちこちに大きな池がある。石を切り出した跡である。大阪城の巨石は400年前にこの犬島から切り出されて運ばれたものらしい。

ある文献によれば、元和6年(1620)
・池田忠雄は大阪城の改修に際し、犬島の石を献上
・横河次太夫が縦4間横8間の巨石を犬島から海上を輸送し、苦難の末大阪城へ据えた(明石市二見町の観音寺境内の横河次太夫(姫路城の船大将)の墓碑銘の中に記録が残っている)

 夜、食事の後、その家の方から往時の島の様子をあれこれと聞かせてもらった。

遺跡?はかつて(明治・大正時代)銅の精錬所(1909年坂本合資会社犬島精錬所が東海岸で銅の精錬を始める。創業者は岡山の坂本金弥氏)で、今で言う公害のため、島の樹々は数年で見事に枯れて、結果、インフレもあって10年で廃業になったとか。一時は工員、労働者もいてかなりの人口だったらしい。

 その後、友人数人で8ミリ映画を作ろうとということで、撮影ロケをやったこともあった。映画は完成しなかったが、毎年のようにやってきて絵を描いたりした。就職してからは同僚を十人程誘って泊まりに来たり、夏休みには美術部の生徒を連れて合宿もした。大方、十年間は毎年訪問したと思う。時には顰蹙を買うことも。島の漁師さんが集めていた流木を燃やしてキャンプファイヤーしたり、留めてある伝馬船を沖に漕ぎ出したり、向かいの島に泳いで渡ろうと無茶をしたり(流れが早いので多分見えている対岸までの距離の五倍は泳いだと思う。)、全く若気の至り。ある年は台風の真っ只中、激しい暴風雨の中、この島に滞在したこともあった。

 個人的な思い出の満載な島だったが、十数年前に岡山にやってきて再び犬島を訪れる機会がやってきた。

2010年のこと。瀬戸内芸術祭というのがあって、その一環で犬島で劇団維新派が公演をすということを聞いた。この劇団は1970年、松本雄吉を中心に日本維新派として旗揚げ。1987年に維新派と改称したものだ。松本雄吉さんは学生の時の後輩で、絵はもちろん入学してきたときから才能豊かで活動的だったが、めっぽう麻雀が強くて、美術研究室で、一緒にやると言うより彼が私の後ろについて指導してもらう方が多かったように思う。まもなく彼は同期を集めて演劇公演を始め、サミュエル・ベケットの「ゴドウを待ちながら」を大学の講堂で観劇したのを覚えている。悲しいかな、内容はほとんど覚えていない。

 犬島の公演の日、彼にあって学生の頃泊めてもらっていた森下さんのことを話すと、松本さんはちょうどその森下さんの家の前に逗留していて、「今朝、森下さんからママカリをもらったよ、一緒に行こう」と言って森下さん宅に同行してくれた。奥さんがおられて(その時八十いくつかで元気でおられた)なんと、当時一緒になっていたずらをしていた中学生が奥座敷から初老ののおっさんになって現れた。何という懐かしいこと。

 この日の演題「台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき 〜《彼》と旅をする20世紀三部作 #3〜」

劇団員総勢50名ほどが自らの手で1.5〜2ヶ月以上かけ巨大な野外劇場を建設し、公演が終れば自ら解体して撤収するという「scrap&build」の劇団として知られている。また公演時には様々なフードやドリンクを提供する屋台村を併設し、巨大劇場と併せ名物となっていた。海外公演も数多くやって何とも凄い活躍である。

https://www.google.com/url?sa=t&source=web&cd=&ved=2ahUKEwidwNnR55nqAhUOrZQKHQTUD_0QwqsBMAF6BAgLEAU&url=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3Da8PiW7QmMdI&usg=AOvVaw2uhqbql3LHKvuEUTjymV8Y

劇中のセリフとリズムが面白く、耳について1週間くらいそのリズムを真似て喋っていた。偉大な作品だと思った。

そんな偉大な彼だが、2016年6月18日食道癌のため死去。69歳没。気さくなおじさんだった、冥福を祈ります。

 その公演後も幾度か牛窓に行く機会があった。この瀬戸芸の前にベネッセが島の一部を買い、芸術による島起こしをやって、おそらく成功はしたのだろう、とは思うものの、私が青春期を送った抜けるような自由な空間は全くないので、少し遠い存在になってしまった。