私の歴史探訪 22.不動明王

22 .不動明王

 私がこの家に引っ越してきた時、既に鎮座しておられた懐中仏 不動明王。鎮座と言っても、ダンボールの箱に入れられて、他の二体(大日如来と御大師様)の仏様と一緒に押入れに置いてあった。正直、不思議に何か宝物のように思えた。懐中仏を実際目にするのは初めてで、珍しい。いつ頃のもので、どのように扱われていたのだろうか?聞くところによると、江戸時代、大奥の女性たちの間で流行していたとか、旅をするときお守りとして携帯していたとか。実際、紐をかけてぶら下げることができるようになっている。日常的に首にかけて持ち運びするには、少しかさばるようにも思うけど、これを掛けてあまりアクティブなことは出来そうにないが、トレンドだったのか、信心深かったのか、想像が膨らむ。私としても、側に置いておくとありがたい気持ちになる。

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私は信心深いとは、とても言い難い。かと言って、無神論者ではないけど、特定の宗教に敬虔に帰依することもしない。どちらかといえば、どの宗教にも懐疑的ではある。お坊さんのありがたい説教を聞く時も、敢えて口頭で反論などしないが、心の中で「ホンマかいな」とつぶやいたりする。神社で御参りする作法も私の場合、多分でたらめだと思う。要するに、いい加減と言うことか。

今、若者の世界でフィギュアとかフェチとかいう言葉があると思うが、昔読んだ知識では、フィギュア=形、フェチ=物神のように理解していたが、仏像=フィギュア=フェチのような気がしないでもない。例えばネットで「瀬織津比咩命」って画像検索すると若者のアニメ・イラストがいきなりヒットする。(コピーでここに貼り付けたいが、著作権の問題が起こりそうで残念だけどパス)古代の神様が現代の若者の世界でフィギュアとして復活している。フェチにしても例えば、男性(とは限らないが)が女学生の「物」としての制服(女学生の代替物)を通して女学生の心性を感じ偏執的な執着心を持つのだから、どこか信仰に近いと思う。私もこの懐中仏に対しそれに似た気持ちを持ったかも知れない。フィギュアと仏像は何処か親和性があるように思う。敬虔な仏教徒には叱られるかも知れないが。数年前、日本刀とアニメ「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」のコラボレーション企画「ヱヴァンゲリヲンと日本刀展」が、備前長船刀剣博物館で開かれていた。その時観覧者の多くが中学生、高校生の女性だった。展示されている即物的な刀剣の後ろにそれぞれイラストがかけられて、絵よりもむしろ、彼女達がしげしげと刀剣に魅入っている光景は不思議なものだった。このコラボの絶妙さ。日本刀の醸し出すスピリチュアルなオーラがイラストと響き合っている。

 お経などは意味が理解できていれば面白く有り難いものかも知れないが、聞いていて眠くなるが心地よいとまではいかない。「般若心経」を写経したり、少し読解しようと試みたがやはり難しい。ある意味哲学書みたいだ。

逆に、意味はほとんど分からないが、キリスト教の宗教曲は心に染み渡る時がある。昔40年ほど前、「レクイエム」(死者のためのミサ曲)という宗教曲を数年、合唱団に入って歌ったことがある。いろんな作曲家が作曲していて、ラテン語やドイツ語、ほとんど意味分からずに歌っていたが、敬虔な気持ちにもなり、気持ちよかった。死者を弔う音楽だから決して明るくはないが、多分、作曲者は天国をイメージしてたんだろうなと思う。

 私は、単純に不思議に思う時がある。心が純化されてこんなに美しい曲を作り、それを聞いて心の中で聖なる気持ちになりその美を再現できる人間なのに、殺戮や戦争、残虐なことを平気で繰り返しているのも人間。これは物事の裏表みたいなもので、人間が持っている「精神」と言うものの実態なんじゃないだろうかと思う。決して悪を肯定しているわけではないが。

人類は「精神」を持ったことの始まりから、「聖なるもの」と「暴力」とをセットにしているように思える。例えば、神に捧げる生贄、キリストの十字架、人身御供など。何処の神様も、時には怒る。怒ると半端じゃない。「祟られ」たり、不具合があると「バチだ」と言ってみたり、日本の神様も「荒神」「荒魂」と呼んでおとなしくしてもらうようにお祈りする。怨霊の代表的な例では菅原道真の天満天神。政争で憂き目を味わい亡くなった後、関係者の突然の死や京に病が流行したとかで、皆怨霊を恐れて、位を元に戻し北野社に神として祀ったという。

 我が国の場合、代表的には仏教と神道が生活一般に深く関わりを持っているので、無視して過ごすのはなかなか難しい。

かと言って、とにかくそれぞれ宗派も沢山あって、作法も皆違うとなれば、どうしたものかうろたえてしまう。先ずそこからだ。

不動明王ってどんな仏さん?大日如来は?密教ってどんな仏教、大乗仏教って?などなどべらぼうなことになってしまう。そこで単純に思うことは、不動明王の激しいイメージだ。後ろに炎を背負って、多くは黒い体、剣を持ってこわい顔でこちらを言わば威嚇している。何で不動なんだ?それも今はパス。他の色々ある仏さんと一味違う。かなり違う。

 もちろん不動明王も色々スタイルがあってそれなりに好みも変わると思う。

不動明王大日如来の教令輪身とされていて、煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしているという。

ウィキペディアによれば、不動明王は一面二臂で降魔の三鈷剣(魔を退散させると同時に人々の煩悩や因縁を断ち切る)と羂索(けんさく/けんじゃく。悪を縛り上げ、また煩悩から抜け出せない人々を縛り吊り上げてでも救い出すための投げ縄のようなもの)を持つのを基本としているという。愛の鞭か。

f:id:AchiM:20200628212841j:image円空の晩年の作と言われている。

f:id:AchiM:20200628213322j:image木喰作

どちらも素晴らしいと思う。

インドで起こり、中国を経て日本に伝わった不動明王であるが、インドや中国には、その造像の遺例は非常に少なく、日本では、密教の流行に従い、盛んに造像が行われたらしい。

 宗教によっては偶像を禁止しているもの(イスラム教など)がある一方、仏教のようにこれほど多種多様な彫像を偶像としての残している宗教も珍しいかも知れない。釈迦が説法した当時、仏像ってあったのだろうか?釈迦が入滅した時の姿「涅槃像」が仏像の始まりだろうか?釈迦の生きていた時代のバラモン教は偶像を作っていたのだろうか?特に日本に於いて、こんなに沢山仏像があるのは何故だろうか?同じような疑問に、津々浦々どこにでも神社があるのも不思議である。我々日本人は本当は宗教心が篤いのか、とあらためて思う。捻くれた見方をすれば、精神支配構造の装置にも思える。

 「超越的な」偶像としての「仏像」ではあるが、彫刻家の彫像を見るように鑑賞させてくれる仏像もある。明らかに「美」を追求したのか、結果的に時代を経ることによるものなのか、その両面を一体として鑑賞して「いいなあ」と思う、そんな仏像に奈良の秋篠寺の「伎芸天」、滋賀県高月町の渡岸寺観音堂「十一面観音」、法隆寺の「百済観音」、京都太秦広隆寺の「半跏思惟像・弥勒菩薩」などがある。 

もちろん、他にも沢山ある。

f:id:AchiM:20200629072206j:image  伎芸天

伎芸天の前に立って、何度見てもいいなあと思ってみていると、一緒にいた母が「浮世の移ろいの美にかまけているより、この美しい姿に心寄せる方がいいね」と多分、私の生き様を揶揄して言ったんだろうなとおもった。教師時代、新入生の遠足の企画を任されて、「平城宮➕秋篠寺」に引率したことがあった。「平城宮跡」は広々と楽しく遊べたみたいだが、そこから歩いて移動して秋篠寺に入ると「先生、何でこんなところに連れてきたの」と生徒の一人が不満気に言うので、「素晴らしいモノに会わせるため」なんて格好つけたけど、どうも通じなかったようだ。

 f:id:AchiM:20200629072339j:image  泰澄作 十一面観音

『近江伊香郡志』所収の寺伝によれば、天平8年(736年)、当時、都に疱瘡が流行したので、聖武天皇は泰澄に除災祈祷を命じたという。泰澄は十一面観世音を彫り、光眼寺を建立し息災延命、万民豊楽の祈祷を行い、その後憂いは絶たれたという。その後病除けの霊験あらたかな観音像として、信仰されるようになった。ちょうど後ろにまわって見ると、背面の顔が笑っているのが印象的だった。

元亀元年(1570年)、浅井・織田の戦火のために堂宇は焼失した。しかし観音を篤く信仰する住職や近隣の住民は、観音さまを土中に埋蔵して難を逃れたという。この長浜市高月町には他にも何体か拝観できる十一面観音があって、やはり戦火の時、住民が土中に埋めて守ったらしい。古くから地域に観音信仰が根強くあったそうだ。

 f:id:AchiM:20200629072539j:image 弥勒菩薩

広隆寺と言えば、秦河勝。『日本書紀』によれば、推古天皇11年(603年)聖徳太子が「私のところに尊い仏像があるが、誰かこれを拝みたてまつる者はいるか」と諸臣に問うたところ、秦河勝が、この仏像を譲り受け、「蜂岡寺」を建てたという。後に広隆寺になった、らしいけど、諸説あって確定したことは分からないが、秦氏の氏寺であることは確からしい。それがこの半跏思惟像弥勒菩薩。この仏さん何処から来たか、半島からきたのか日本で造られたのか議論があってまだ解決していないという。昔、京都の学生が仏さんの指に触れて折ってしまって大騒ぎになったことを思い出す。