私の歴史探訪 26.「タタラ」を巡る ④

東大寺の「修二会の行」の中に「達陀」という結構賑やかな行がある。

達陀とは、サンスクリット語「ダグダ」の地方語、パーリ語「ダッタ」で「焼き尽くされる」「滅し尽くされる」と云う意味だそうで、やはりタタール人の中国語「韃靼」ともどこかで共通しているかもしれない。私は最近まで「韃靼」と「達陀」の字の区別もなく、オペラ「イーゴリー公」の「韃靼人の踊り」とも絡まって、素朴な舞踏から来ているのかなどと思っていた。

「達陀」は何かしら仏教的な匂いがするが。ある種の「火祭り」なのだろう。怨念を焼き尽くす。

拝火教」として名高いゾロアスター教の影響もあるのだろうか?

 私がまだ二十代の頃、画家の須田剋太さんのお誘いを受けて、東大寺の「達陀の行」を観に行ったことがある。須田剋太さんが当時の東大寺別当であった上司海雲さんと親しい友人であったので、修行僧の支度部屋に入らせてもらったり、間近で「達陀の行」を観せて頂いた。修行僧の支度部屋では、須田剋太さんがその当時デザインされた「糊こぼし椿」が沢山並べてあったのが印象的だった。

f:id:AchiM:20200706194108j:image糊こぼし椿 f:id:AchiM:20200706194121j:image須田剋太さんの絵馬 f:id:AchiM:20200706194132j:image須田剋太さんの油絵作品

私の遠い記憶を蘇らせると…達陀の行は薄暗いお堂の中で、僧たちが下駄でけたたましい音を立てながら走り回り、時々多分お経だろうか、鈴の音が響き、合唱のようになり荒々しい声が響き渡る。観ている分にはとても寒くて、お堂の廊下の隅には火が焚かれていて、辛うじて暖が取れるようにはなっていたが、片や中では張り詰めた空気で荘厳さに満ちていた。

後で知ったのだが、行の終わった後どの段階かわからないが、子供に達陀帽を被せて、子供の成長と健康を祈る儀式があるのだ。たまに大人もいるそうだが。この帽子のデザインを見ると、どこか矢張りタタール人の帽子に似ている。

https://youtu.be/vXoyZtEDbI0

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「達陀帽いだかせ」

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タタール情報局の写真

お水取り(以下 ウィキペディア から)
3月12日、後夜の咒師作法の中で(13日午前1時)、咒師は蓮松明という松明に照らされながら5人の練行衆とともに南側の石段を下りて閼伽井屋(あかいや 別名・若狭井)へ向かう。

この水は、若狭の遠敷明神(おにゅうみょうじん)が神々の参集に遅れたお詫びとして二月堂本尊に献じられたと伝えられ、今でも遠敷(おにゅう)明神の神宮寺であった若狭小浜市若狭神宮寺では今もこの井戸に水を送る「お水送り」(3月2日)の行事が行われている。お水取りが終わると咒師作法は再開される。

 

若狭の若狭神宮寺「お水送り」と奈良東大寺「お水取り」はセットになっていたのだ。若狭神宮寺は地図上、奈良東大寺のほぼ真上(同じ経度)に位置している。何か意味が有るのかもしれない。

小浜市に「鵜の瀬」というところがあり、その水路が東大寺の二月堂の井戸に繋がっているとされている。御香水は十日かかって東大寺の若狭井に届くという。

f:id:AchiM:20200707042447j:image鵜の瀬の給水所

 

f:id:AchiM:20200707074027j:image若狭お水送りの儀式f:id:AchiM:20200707074835j:image

異国的な、秘儀的でかなり怪しげな出で立ち。どちらも水のお祭りではあるが、矢張り「火」が印象的である。