私の歴史探訪 37.東西、月をめぐる話

自らを「月見草」に擬えた、今年二月に亡くなられた野村克也さんは、私が子どもの頃、南海ホークスの試合を大阪球場へ叔父に連れられて何回か観に行ったこともあり、いつしかファンらしき気分を持つようになった。一方「向日葵」と呼ばれた人は?。別に「向日葵」の花が嫌いなわけではない。「月見草」は「マツヨイグサ」の仲間らしい。「宵待草」と一緒?何だかイメージは儚く侘しい。散歩道で時々見かける、これからが季節みたいだ。

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 古代「古事記」や「秀真伝」に出てくる月の神さん「ツクヨミ」も影が薄い。「月読命」を祀った神社も少ないとか。あっても本来、創建時から「月読命」を祀っていた神社となるともっと少ないらしい。何故なんだろう。イザナギイザナミの第三子「ツキヨミ」

ホツマツタエに次のような物語がある。

・(アマテルは続けた)
・「オモタル※の御代の末より、稲穂が細くなって稲の育ちが悪くなった
・そのため、(アマテルの御代に)ツキヨミ※を召して、ヒヨウルタネを持つウケモチの元に派遣することにした
 ・そこでツキヨミがウケモチの元に向ってみれば、現地には丸屋(粗末な屋敷)があり、そこに迎え入れられた
・すると、ウケモチは肥(糞尿)の注ぎ桶(柄杓)の口で米を煮始めた
 ・また、田畑に行って肥の掛かったスズナを手籠に入れて来て、スズナ汁を作り始めた
・そして、その二品をたくさん用意して、ツキヨミをもてなした
 ・これにツキヨミは激怒し、「卑しく唾吐く穢れたものと交われるか」と言った
 ・そして、剣を抜いて7代目ウケモチを打ち殺した
・この後、ツキヨミは帰ってアマテルに事の次第を報告した
 ・すると、アマテルは「お前のような反れた者とは顔を合わせたくない」と言い放った
・これによってツキヨミは政を離れ、アマテルの補佐から失脚した("マツリハナレテヨルキマス"とある)」

(以上引用)

その後の「ツキヨミ」の顛末がどこにもないらしい。「月・黄泉」?「月・読み」→「暦」に関係があるのかもしれない。

 

月の満ち欠けの周期を基にした暦、「太陰暦」。「太陰」は「月(天体)」、月日を規定する道具とともに「占い」とも深い関係があったようだ。今でもその名残があって、「大安」「仏滅」「友引」「先勝」「先負」などカレンダーの日付の下に書かれていることがある。これらの言葉は「仏滅」から想像するに仏教が入って来てからの言葉だろうが、

暦は中国から朝鮮半島を通じて日本に伝わり、大和朝廷百済(くだら)から暦を作成するための暦法や天文地理を学ぶために僧を招き、飛鳥時代の推古12年(604)に日本最初の暦が作られたと伝えられている。

 この飛鳥時代以前はどのような暦だったのだろうか?やはり月の満ち欠けが最も日常的に視覚的にもわかりやすく、正確さは別にして(楕円軌道だから)、規則的に繰り返す、しかも天上において神から与えらたと思える月の動きは、太陽と同じように絶対的なものだったと思う。

 月の初めを「朔日」といい「新月」、15日かけて「望月」になり14日と何某かで「新月」になる。何かに書かれていたが「朔日」は「新月」で何も見えないので確かめようがないので、目にハッキリと見える「三日月」くらいになって日を遡って「1日目」を確定したので「月」を「逆る」で「朔」になったとか?なるほどと思う。

 因みに、フランスパンの「クロワッサン」、三日月(croissant)の形をしていることから。「croître 」(成長する)の現在分詞「croissant」(成長してます)からなのか。

英語では「crescent」「三日月」音楽用語で出てくる「次第に強く」と同じ言葉。

 

私がまだ二十代の頃、京都でフェルメールの展覧会があり、「ダイアナとニンフたち」という作品を見た。「ダイアナ」は古代ローマの月の女神で頭に三日月の冠をつけている。

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この作品、1999年から2000年にかけて修復、洗浄を受けて、この修復作業で、画面右上に描かれていた青空が、19世紀になってから描き加えられたものであることが明らかになった。このときの作業では、描き加えられた青空に対して、オリジナルの背景に描かれた植物に似せた枝葉を上描きすることによって修復が実施されたという。私が見たのは修復・洗浄前のものだったのだ。

フェルメールに関してはまだよく知らない頃のことで、ただボーと見ていただけのような気がする。フェルメール生涯の残されている作品数が三十数点と少なく、この「ダイアナとニンフたち」はフェルメールのかなり初期の作品らしく、神話をモティーフにしているところも他の作品と少し画面の組み立てが違って見える。その後、次々と他の作品も見る機会ができてフェルメールが好きになってしまった。

真珠の耳飾りの少女」の映画も観に行った。しかし、フェルメールに関しては自分なりの見方を固めてしまってからなので、違和感の方が強く、私には好印象の映画ではなかった。

 フェルメールのモチーフは当時出島からオランダにもたらされ、評判を呼んだ日本の着物と見える衣裳の人物像が5点ほどある。

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オランダ絵画の黄金時代を花開かせた商人の経済力には、当時、世界的に注目を受けていた石見銀山で産出した銀が、出島からオランダにもたらされ莫大な利益を生んでいたという。「手紙を読む」あるいは「書く」モティーフや地図が壁にかけられた絵も数点あるが、その手紙の先が遠い国からを想像させて、「狭い部屋」から「世界」への時空の広がりを考えさせる。それと対比的に画面構成や人物のポーズの静謐さは「個々の動き」は個別の動作ではなく、フェルメールと同時代の風俗画家と比較するとハッキリするが、象徴的と思えるほどに不動性を感じる。そのような見方からすれば、「ダイアナとニンフたち」もそこにある物語はそれぞれが有機的に絡まっているというよりも、切り取られた時間ではなく永遠性を感じる。