私の歴史探訪 39.騙し絵

「パース」という現代ではお馴染みの建築用語、パースペクティブ、即ち「遠近法」は、中学生の頃その図法を教わった時、自分の絵を描く領域が新たな世界に踏み込んだような新鮮さを感じたのを思い出す。消失点を一点設定する「一点透視図法」や二点設定する「二点透視図法」などレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」やラファイエロの「アテネの学堂」の絵を参照して、「二次元の絵画空間なのになんとスペクタクルな世界なんだろう」と、そこまで分析的に言語化できたわけではないが、驚きは大きかった。

f:id:AchiM:20200803180311j:imageレオナルド・ダ・ヴィンチ 最後の晩餐

f:id:AchiM:20200803180323j:imageラファイエロ アテネの学堂

そもそも、人類の長い歴史の中で、絵画活動は(おそらく数万年)さまざまな様式があるがそのほとんどが二次元表現で、三次元的、立体的に表現されたもの、あるいはそのような意図で描かれたものは14世紀〜17世紀ヨーロッパのルネサンス期の絵画を除けば見つけるのは難しい。その意味では、ヨーロッパこの時代の僅か数百年間の「遠近法」による絵画は特殊とも思える。14世紀のジョットのフレスコ画やそれ以前のビザンチン美術にもルネサンスに向かう予兆はあったが、ブルネレスキーという建築家が「透視図法」の図法を確立してからルネサンスの画家たちはこぞってそれを流行的に利用して、イタリアだけでなく北ヨーロッパ、ドイツでも画家たちは構造的な研究を始めた。

f:id:AchiM:20200804084045j:imageデューラーの透視図法装置(15世紀初め)

デューラーの装置はカメラの構造に似ている。ブルネレスキーの図法が先ず、図法の構造を設定して空間を組み立てているのに対して、デューラーの場合は対象と見る人の間に装置(メディア)を置いて、デジタル的に読み取る手法である。この桝目をより細かくしていけばより正確な図が得られる。共通しているのは「消失点」や「見る目」の位置が不動であるという点であろう。即ち、見る主体の不動の視点からの世界である。それまでは天空の神の視点であったり、個人の視点ではなく汎然とした一般化された視線によるものであった。

現代、騙しのテクニックが蘇った交通安全の道路標識?はまさに運転者の目(一点)にしか効力を発揮しない。

f:id:AchiM:20200804112443j:image

中世、ルネサンス以前は「神の視線」で世界を描いていたが、個人の視点・眼差しを得てからは教会の天井を「個」が「神の世界を見る」空間に変えてしまった。この絵が最も機能するのはある一点に立った時だけである。そこを外すと天井は不自然に揺らいでしまう。

f:id:AchiM:20200804112124j:image

現代のストリート作家は「本物らしく見える。ありもしないものをあるかのように。」の世界を錯覚と騙し絵の技術で楽しんでいる。

f:id:AchiM:20200804112857j:image

この騙しのテクニックはルネサンスの当初からその構造上内包されていたのだと思う。

ウッチェルロのわざとらしい装置の中に見て取れる。

f:id:AchiM:20200803210525j:image1465年頃 コルプス・ドミニ教会の祭壇画(ウルビーノ

f:id:AchiM:20200804120244j:image
『サン・ロマーノの戦い』

寝ても覚めても「透視図法(遠近法)」に嵌ってしまったウッチェルロは、舞台装置の中に物語のピースを遠近法を強調すべく配置しているので、現代の我々の目にはわざとらしく思えるほどである。何だか、先に意図的なグラフを描き数値化して現実をはめ込んで、タミの心を誘導しているどこかの国の手法に似ている。

 我が国に、このパースペクティブと逆のベクトルを持った芸術表現がある。歌舞伎の「見得切り」である。三次元空間の芝居の最中ここぞという見せ場で、一瞬時間を止めて、華々しく動作を広げて「まるで絵のように」いや、まさに「絵」を作るのだ。二次元平面だから時間を止めるのだと思う。

f:id:AchiM:20200804071531j:image写楽の役者絵

f:id:AchiM:20200804071554j:image

したがって、写楽の役者絵のように「手」は古代の絵のように開いた見せ方が意に沿っていると思う。時々、見栄を切る真似をして、劇画のように「手」を前方に突き出しているのを見ることがあるが本来の「見得切り」でないかもしれない。

 演劇の三次元装置の中で、一瞬、動きを止めて絵を作る、二次元性への回帰、は独特な手法に見える。

しかし、この発想は、遠く古代ギリシャの彫刻に多分に見られる。例えば、ミュロンの「円盤投げ」、作者不詳「ヴィーナス」の絵画性を意識したポーズ、実際モデルがこのポーズを求められたら、おそらく肉体的に不自然で辛いものがあるだろうが、絵画造形的には美しく見える。彫刻作品ではあるが、こちらの方は永遠に見得を切るっているのだ。

f:id:AchiM:20200804080859j:image

f:id:AchiM:20200804080928j:image

 「遠近法」は浮世絵にも影響を与えている。しかし、正確な図法に基づいた絵は少なく、そのリアルな結果を求めるよりも、むしろ「遠近法」のもつわざとらしさを一層誇張させて使っているところが面白い。

f:id:AchiM:20200804130457j:image

実際、本場ヨーロッパでもルネサンスから300年後の18〜19世紀になると遠近法にも興味が薄れて、セザンヌピカソの時代には、故意にこの図法を壊したり、無視したりするようになる。多分、ヨーロッパ文明の欺瞞性や合理主義への懐疑がそうさせたのではないかと思う。さらに、20世紀初めのダダイズムそれに続くシュールレアリスムに至っては文明批判を根底に、既存の空間価値観を否定して、合理精神から生まれた「透視図法」は逆に攻撃の対象にすらなってしまった。