私の「イロハ」5.「ホ」星

「星の王子様」で有名なサン・テグジェペリの「人間の土地」の中でサハラ砂漠に不時着した時のことが書かれている。いくつもある砂の小山のテッペンで寝そっべって夜空を見上げれば、まるで宇宙の中にいる様であるという体験。「ぼくははっきりこの天と地との中間に介在する王国に住んでいるという気がした」と。サン・テグジェペリは幾度か砂漠に不時着や墜落をし、その都度砂漠と星だけの夜を経験して、その体験をもとに「星の王子様」が誕生したという。その中には数々の人生にとっての名言句がある。その一つに、

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目には見えないんだよ」"On ne voit bien qu'avec le coeur. L'essentiel est invisible pour les yeux."というキツネ。

何かがひっかる様な場面もある。キツネの言葉(apprivoiser )「飼いならす」「なつく」についてのやり取りである。


「『なつく』(飼いならす=apprivoiser )ってどういうこと?」
「ずいぶんわすれられてしまってることだ」キツネは言った。「それはね、『絆を結ぶ』(creer des liens)ということだよ……」
「絆を結ぶ?」
「そうとも」とキツネ。「きみはまだ、ぼくにとっては、ほかの十万の男の子となにも変わらない男の子だ。だからぼくは、べつにきみがいなくてもいい。きみも、べつにぼくがいなくてもいい。きみにとってもぼくは、ほかの十万のキツネとなんの変わりもない。でも、もしきみがぼくをなつかせたら、ぼくらはお互いに、なくてはならない存在になる。きみはぼくにとって、世界でひとりだけの人になる。ぼくもきみにとって、世界で一匹だけのキツネになる……」

 星の王子さまが、やってきたのは、これはたぶん、「地球」という星、そこでキツネと出会うのは、赤いバラと「おしゃべり」をした後で、「ボンジュール」と声がして、王子さまが、振り返ると、りんごの木の下に、キツネがいた。キツネは初めて会った王子さまに、「お前、ここに住んでる人間じゃねえな」と一発かます前に、「一緒に遊ぼうよ」と誘ってきた王子さまに対し、すぐに、キツネは、こう、言い放つ。
 ━Je ne suis pas apprivoise.(オレは、飼いならされてなんか、いねえからな)

 そこで、きょとんとした王子さまは、キツネに「apprivoiserって、どういう意味?」って問い返すが、このリアクションに、キツネは「お前、この星(=地球)の人間じゃねえんだな」と言う。
 物語では、その後、キツネと王子さまとの間で、この「apprivoiser」を巡って、いろんなやりとりが続いていく。

f:id:AchiM:20200912082037j:image

やっぱり、何か引っかかる。また、ゆっくり考えてみよう。

 

「星」、星の数ほどというぐらいで、海の水というのと同じで、無限の世界ではあるが、よく見ると星にもそれなりの個性、色や大きさがあって、大人になって多少とも宇宙の姿を知る様になってからは、悠久の時間軸で、天球の平面に張り付いているそれぞれの輝きが、それぞれ信じれないほどの別々の距離を持ってそこにあるその奥行きの深さに驚く様になった。

「今の宇宙」という言い方も変だけど、我々がいるこの宇宙は138億年前にビッグバンと呼ばれる爆発がありそれが今なお拡張し続けているという。その拡張のスピードの逆算からの計算による138億年だそうだ。膨張宇宙論(ビッグバン理論 )と呼ばれている。いずれ拡張が進めばそのうち逆に縮小に向かうという理論が優勢だったが、観測によれば、今なおそのまま加速度的に拡張を進めそれを引き止めることなく、密度が希薄になっていくという説が今は有力らしい。我々の思考規範では、「無限」の空間とか、ビッグバン137億年前の前って何があったのかという思考の設定が虚しく思える。「無限」という言葉をよく使うわりには「無限に何もない」ことが理解できない。どこかに何か支える基盤を想定したくなる我々の精神は見えないものをとりあえず「ブラック」「ダーク」という言葉で、「ブラックホール」「ダークマター」「ダークエネルギー」など名付けはしているが、宇宙はこのダークマターダークエネルギーで見たされているという。2013年3月、欧州宇宙機関プランクの観測結果に基づいて、ダークマターは26.8%、ダークエネルギーは68.3%、原子は4.9%と発表した。すなわち見えている星は宇宙空間のたった5%に満たないのだ。

もう少し?身近な?興味で話題になっていることで、オリオン座のあの四角形の一角にあるベデルギウスという星がある。少し赤っぽく見える星。

ベテルギウス(英語: Betelgeuse)はオリオン座にある恒星で、全天21の1等星の1つ。おおいぬ座シリウスこいぬ座プロキオンとともに、冬の大三角を形成している。

 そのベデルギウス、以前から少しずつ暗くなりはしていたがこの数年かなり極端に減光し出したということで話題になっていた。急な変化で、ある雑誌記事では、星の最期を迎えるかもしれなく、そのベデルギウスが爆発すれば月の何倍もの明るさになり…と伝えられたので天文ファンの間でちょっとした騒ぎになった。これから冬になったらオリオン座を見る機会が増えるので夜空を見上げる機会が増えるなあと思う。

f:id:AchiM:20200912213256j:image通常のオリオン座(左)と2020年初頭に撮影されたベテルギウスが大きく減光した時のオリオン座(右)

このように、空、宇宙空間では時々天体ショウが繰り広げられていて、例えば、我々が容易に観測できる「日食」月食」「流星群」から「太陽黒点」「木星の衛星」などの変化、めったにやってこないが「彗星」の観測など、状況が許せば私も参加する。

f:id:AchiM:20200912131608j:image太陽黒点 2014.12.12の観測

数年前、黒点の大きさも数も結構大きかったが、今年は黒点ゼロの日が100日続いていて、地球への影響も懸念されている。「地球、氷期突入の兆候か…」という記事もある。太陽活動は十一年周期で変化していると言われているが、その変化の波のうちなのかどうか?

因みに、月も楕円軌道を回っているので、地球に近付いたり遠くなったりしているのだが、全体的には少しずつ地球から離れているそうだ。


f:id:AchiM:20200912131603j:image上弦の月

月は太陽に比べ主張が穏やかなせいか、宙空に静かに浮かんでいるイメージが強い。特に上弦の半月はまさに船のようで詩的である。

f:id:AchiM:20200913082350j:image私の観測した火星

世の中に素晴らしい沢山の「火星」の映像はあるが、私の500mmの望遠レンズを駆使して撮った「火星」

f:id:AchiM:20200913083142j:image2012.6.6 金星食

珍しい天体ショウ、「金星食」、太陽の前を金星が横切っていく現象、レンズに減光フィルターをかけて観測。

 

 太古の昔から人類はこの空を見上げて、星々を結びながら物語を貼り付けた。よく知られているのがギリシャ神話による星座。

子供の頃(小学生)私は父親の書棚にあった星座の本を見るのが好きでかなりの星座を覚えた。小学校の校舎に天文台があったり、宿直の先生が夏の夜空を眺める会をしてくれて日が暮れてから集まって星座表を見ながら教えてくれたのは、いい思い出になっている。ギリシャ神話も面白いし、星空は神秘で魅惑的には思うが、夜空にギリシャ神話の映像を結びつける能力はいまだにない。満天の星を見てそれぞれの星を結びつける古代の人達の作業に驚嘆する。

 私の最も古い記憶。両親とどこか(おそらく何かのコンサートと思っていたのだが)に出かけて、夜遅く家に帰る途中、家の近くの工場跡の門を入ったところで、私の両腕を両親がブランコ状態に釣り上げた時、見上げた空の星の凄まじさ。その時、まだ4歳下の妹がいなかったこと(生まれていなかった)から思えば、おそらく3歳頃の記憶と類推される。年齢的に普段、夜、星を見上げることなどなかっただろうが、ブランコ状態の宙に浮かぶ特殊な体の姿勢と視線が、突然、宇宙に放り出された様に、満点の星が私に覆い被さり、私の小さな脳、いや、身体全体に写し込まれたのだろう。プルーストの「失われた時を求めて」流に言えば、私の七十五年のの中で彗星のように幾度となく巡ってくる原風景である。

出かけた先をなぜ、コンサートと思うのか?後々の母の話によると「小さい頃、コンサートに連れて行ったが、落ち着きがなくて困った」と聞かされていたからだ。私にはコンサートの記憶は全くない。戦後数年後、どんなコンサートだったのだろうか?今朝、確かめたくて、今百歳の母に電話をしてみると、阪急正雀駅の近くにある勲英学園の講堂で催された歌舞伎だったということが分かった。戦後、ホールらしきものもなく、娯楽もままならなかった時、慰問目的で仮舞台で演じられたという。

百歳の母を七十数年前の夜空の記憶に引き戻し、そこから小一時間昔話をした。戦後の街の光も少ない時代、「今よりもはるかに沢山の星があったね」と懐かしむ。他にも私の記憶の不確かな輪郭「あれはどこだっけ」とか「こんな記憶があるけど覚えてる?」などなどの確認・証左も得ることができた。