我が家でも時々お目にかかる「蛇」、愛すべき存在ではないがわざわざ虐めてやろうという気にもならない。種類は、よく見かけるのは青大将とマムシ。マムシはこの地元では「ハミ」と言っている。道路で車に轢かれてひしゃげているのをよく見る。青大将は家の中に住みついてネズミを食べてくれると聞いたことがある。また、裏庭で突然木の上から目の前に降ってきてビックリしたことがあって、一瞬首をもたげ私を見ている、私が動くと茂みに姿を消してしまった。
モグラを絞めて、私が転がしても離さない蛇。庭で撮影。
日本では縄文時代から土器の意匠の中に表され、再生の神として崇められていたり、農耕文明に入ってからは、田を守る神として、ある説では「案山子」のことを「蛇」からきているという話もある。円錐形の山はトグロを巻く蛇のイメージ、『日本書紀』には伊吹山は蛇として記され、あるいは大和の円錐形の三輪山の神を蛇として伝えた。
神社のしめ縄は蛇の交尾そのものの形象である。古代人の「蛇」に対する想いは特に宗教的な面に強いように思える。生活の中で相当強いインパクトのある存在であったのであろう。
「蛇」のことを古くは「カカ」といったらしく、そこからの転用で「鏡」は「カガメ」、つまり「蛇の目」が転化したものらしい。古代人は、神鏡を丸く光る蛇の目に重ね、神聖なものとして崇めた。古代の神鏡は、実用よりも呪物であり、権威の象徴として豪族たちは大陸からもたらされる鏡を競って求めたという。(吉野裕子著「日本の蛇信仰・蛇」から)
最近分かった「ヤマカガシ」の毒の強さで話題になった「ヤマカガシ」という変わった名前の「蛇」、元は「ヤマカガチ」であったといわれ、漢字で書くと山楝蛇。「チ」「ち」は霊力や、霊力の強いものの意味をあらわすと同時にヘビの古語の一つである「みづち」や、神話で登場する三輪山の神・大物主神の別名・大己貴命(おおなむちのみこと)、「八岐大蛇(やまたのおろち)」などの「ち」とも通じ、ヘビ、特に霊力の強い歳を経た大蛇のことだという。「ヤマカガシ」の毒の強さはハブやマムシの数倍で油断禁物である。
ユーモラスな動きの懐かしい蛇の玩具、お祭りの夜店で売っていたのを思い出す。
キリスト教世界では、原初、アダムとイブが「蛇」に唆されて、知恵の実を食べて楽園を追われる話で、悪いイメージを持って登場する。また、ギリシャ神話でオルフェウスの愛妻エウリディッケが蛇に噛まれて死んでしまう。
ミケランジェロのアダムとイブ
蛇に噛めせて自殺したクレオパトラの話は有名だ。
現代、我々は「蛇」を見て「宇宙」や「世界」との関係で根源的な想念を抱くことはあまりない。しかし、世界的に、古代人達は蛇を崇め宇宙と結びつけ、物語を作り、生命の輪廻や畏怖を感じていたのだろう。それが象徴・意匠として今なお受け継がれている。
現代も国際的に使われている「蛇」の意匠にWHO(世界保健機関)の旗がある。
「アスクレピオスの杖」と言って、ギリシア神話に登場する名医アスクレピオス(アスクレーピオス)の持っていた蛇(クスシヘビ)の巻きついた杖。医療・医術の象徴として世界的に広く用いられているシンボルマークである。何故蛇なのか?
アスクレピオスは、アポロンの息子の一人で、幼少時より医学に才能を示し、診断学・薬学・外科学などを修得し、ついに死者までをも蘇らせるほどの腕となる。しかし、彼があまりにも死者を蘇らせるため、死者の国の王ハーデスの訴えにより、神々の王であるゼウスによって殺されてしまい、死後は天に上げられて「へびつかい座」となり、神の一員に加わった。彼がいつも「聖蛇が巻き付いた杖」を持ち歩いていたことから、その杖がいつしか医学のシンボルとなった。
これとよく似たのにヘルメスの杖がある。
ヘルメスの杖、蛇が二匹いる。
ケーリュケイオンというギリシャ神話のヘルメスが持っている杖。柄に2匹の蛇が巻きついている杖であり、その頭にはしばしばヘルメスの翼が飾られる。
ウロボロスという自分の尾を加えて輪になっている「蛇」の図がある。語源は、「尾を飲み込む(蛇)」の意。ウロボロスのイメージは、アステカ、古代中国、ネイティブ・アメリカンなどの文化にも見受けられる。
ヘビは、脱皮して大きく成長するさまや、長期の飢餓状態にも耐える強い生命力などから、「死と再生」「不老不死」などの象徴とされる。そのヘビがみずからの尾を食べることで、始まりも終わりも無い完全なものとしての象徴的意味が備わったという。
「蛇」は形状が自在で、円環であったり、螺旋であったり縄のように組紐になったり自在である。星の王子様の絵、「ウワバミ」が「帽子」だということにもなる。