私の「イロハ」15.「ヨ」喜び

秋晴れの風も爽やかな昼前、脚立に登り駐車場の屋根の板張り、一枚一枚長さを調節してビスで止めていく。その作業の途中でふと喜びの気持ちが湧き出してくる。

 それまで、数日悩む事があった。気持ちの中でどのような屋根にするのかの、イメージは作業を始める当初から明確なのだが、綿密な吟味なしに作業を始めて、途中で材料や設計(設計図を描くわけでもなく)変更、あるいは追加を、また、いかに経費を安く上げるか考えながら、結局は突き進む。

 楽なのは、規格のはっきりした材料、例えばコンパネ(90㎝×180㎝)は便利で作業も速く扱いやすい。種類も価格も様々で、少々広いので計算してみるとそれなりの額になりしばしばブレーキがかかる。そもそもコンパネを貼らずに、ダイレクトに波板を張ってもいいのだ、と思ったりする。気持ちは行きつ戻りつ。

 そんな時、数年前に近所の友人からリフォームされた時に貰った床板があったのを思い出し、引っ張り出してきた。三分の一程度は張れそうである。結局、コンパネは諦めて板を張る作業を始めたというわけだ。この時の喜びは、一本一本ビスをドライバーで打ち込んでいく単純な作業行為のリズムだろうか。とにかく、ちょっと前進した。

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 昔、学生の時、先輩に私の目からは超人的に活動的な人がいて、キャンバスパネル(180㎝×130㎝ 約120号)をベニヤ板と角材で一度に十数枚をあっという間に作り上げる姿を見て、「かっこいい」と憧れた事がある。私にはそんなエネルギーはないので、でも何かする時、その人のその時のイメージは私の行動の原動力にはなっている。

 退職後、岡山に来て友達になった建築士Mさんが偶然私の先輩と同じ高校の卒業で、Mさんも日々大工仕事をされていて、その活動は私からすれば超人的だある。その人のエネルギーを側に感じて、大いに勇気づけられている。

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 一連の作業も、私は怖がりで脚立の登り下りも、プロの庭師でも脚立から落ちたとか農機具や大工道具で大怪我をしたり、命を落とした話などを聞くと、ビビってしまう。脚立の登り下りは特に「降りる時が特に要注意」と自分に言い聞かせて降りる。電動ノコも緊張する。

本職でも指を落としたり、数年前、ご高齢の大工さんが足を切って亡くなっている。怯えながらでも頭をぶつけて怪我をする事があり、生きること全てに緊張を強いられている。

 限られた1日の時間と、自分のエネルギーをどのように配分するかを朝起きてから考えるのは楽しい。予定して思ったほどできることは稀で、大概、すぐに夜が来て疲れてしまっている。

 先日、運転免許更新のための高齢者認知テストとその数日後運転講習があり、認知テストは遠距離(車で一時間)でテストの緊張もあってすっかり疲れてしまった。結果はまずまずだったのでホッとしたが、今後何年か先にまたこのようなことを繰り返すと思うと、些か気が滅入る。そんな訳で、免許自主返納する人も増えるんだろうな。

 認知テストの問題で、記憶テストがあって、人伝に「16パターンの絵」が示されてその内4パターンを別の問題を済ませた後、思い出して書くということを聞いていて、ネットでそのパターンが示されていてそれを16パターン全て事前に覚えていったのだが、なんと全く違うパターンが出題された。少々パニクる。辛うじて16パターン中13パターンは思い出せた。

 しかし、後で分かったことだが、16パターンが4種類あるらしく、それぞれのカテゴリーは共通で、最初に覚えていったものにカテゴライズして覚えていればよかったのだ。例えば「大砲」→「武器」→「刀」、「ライオン」→「動物」→「馬」という具合に。まあ、次回受ける時には様子・内容も変わっているだろうけど。一つの記憶術は勉強になった。ちょっとした喜び!