私の「イロハ」23.「ム」夢想

正月が明けてから寒さが厳しくて、外での作業も減り、コタツに入って物思いに耽る時間が増える。今年、予定している作業としてギャラリー第二室として隣接している蔵の改造を考えているが、友達には最初のギャラリーが完成した時「次は2年後に完成させる」と豪語したのだが、現実は2年後に作業開始できるかどうかの状態。蔵の中は二階になっていて、一階には、ブリキで出来ている米の大きな貯蔵缶が三つ、ひと昔前農作業で使っていたような道具や、田圃に水を引くための人力の水車、その他使わなくなった建具や木端が所狭しとあり、2階には五つほどの長持ちと農作業用のむしろが積み上げてあり、ここにも木端が立てかけてある。

全体の空間は天井も高く、壁もしっかりとしていて頑丈そうである。

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この現実把握はむしろ、事の大変さ、物品の破棄や掃除を思うと気が滅入りモティベーションが下がる。年齢とともに自信がなくなっていく。

私は何かものを作ろうとする時、そのプランを誰かに話したくなり、誇大に語ってしまうことがある。昔、スピーカーボックスを作っていたが、思いが膨らんで、天井に届く程ものを作りたくなり意気揚々と友達に話すと、引かれてしまったことがある。その反応に少しガッカリしながら、自分の誇大性に気付かされたことでもある。実際、住環境(文化住宅)隣近所のことを思い、その時は作らなかった。

 「夢想」とは、夢のようにあてもないことを心におもうこと。空想。

意識が現実から離れて浮遊しているようで、あまり良いイメージではない。「夢想家」などと言われると揶揄されているようにも思う。子供の頃にはこの夢想癖で命を落としそうになったことが幾度かあった。五歳頃のこと、工場跡の用水池の辺りで板切れを浮かべて遊んでいたが、その浮かんでいる板がカッコいいボートに見えてきてそこに乗り込んだ瞬間、その板切れのボートは私を乗せることもなく転覆、私が溺れてあがいているところを、運良くそばにいた小学生、(エイちゃん)が棒切れをさしだしてくれて命拾いをした。

 また、同じ頃だったと思うが、木造の集合住宅の二階踊り場の手すりの上に立ち、鳥になったつもりでいると真っ逆さまに転落、頭を打って瀕死の状態、今でも頭のてっぺんは大きく凸凹変形している。

 やはり、子供の頃の記憶で『ノンちゃん雲に乗る』と言う映画を小学校の講堂で見た事があって、主人公の鰐淵晴子が木から池に転落する場面があったのを思い出す。

 改めてウイキで調べてみると、

『ノンちゃん雲に乗る』(ノンちゃんくもにのる)は、1951年に出版された石井桃子の児童文学作品。

1955年に鰐淵晴子の主演で映画化され、翌1956年にはテレビ化された。あらすじは、8歳の女の子、田代信子(ノンちゃん)は、ある春の朝、お母さんと兄ちゃんが自分に黙って出かけたので、悲しくて泣いていた。木の上からひょうたん池に映る空を覗いているうちに、誤って池に落ちてしまう。気がつくとそこは水の中の空の上。雲の上には白いひげを生やしたおじいさんがいて、熊手ですくって助けてくれた。ノンちゃんはおじいさんに、自分や家族の身の上を打ち明ける。

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子供は空想と現実の区別がつかない事がよくある。ほとんど夢想の世界を生きていたように思う。

 私は小学校に行ってからも、教師の話はほとんど聞かず窓の外を眺めながら夢想する日々だったので教師に不名誉な「ノボー」と言うあだ名をつけられたりした。中学校に行って友達が「ノボさん」と呼ぶので別の小学校から来た生徒が「おまえ、ノブオって言うの?」と尋ねられたりした。

 20世紀のフランスの哲学者、ガストン・バシュラール著の『空と夢』(運動の想像力にかんする試論)の中の第8章 「雲」、そこに

雲はもっとも無限的な《詩の対象》のひとつに数えられる。それは白昼の夢幻状態の対象である。それは気楽に束の間の夢想を誘い出す。人はしばし《雲の中に》いるが、実際的な連中にやんわり冷やかされて地上に帰ってくる。(引用)

その通りだなあと共感。

 この歳になって、体力の衰えを実感する今、目下の蔵の改造、絶対に今必要とまで思えないのでモティベーションがなかなか湧かない。そこで、私を奮い立たせてくれるのが「夢想」である。縦3m×横7m×高さ5mの薄暗い、厚い壁で囲われた、得体の知らない物と埃の堆積した空間を、まずはニュートラルな空間にリセットし、そこから、先のガストン・バシュラールの『空間の詩学』の中の「内密の無限性」の瞑想し夢見るくつろいだ魂が行動の原動力に代わる。まさに「夢想」の持つエネルギーである。

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